• 楽しむ・学ぶ
  • 商品情報
  • 会社情報
  • お客様相談室
  • はくばくオンラインショップ

楽しむ・学ぶ

ホーム > 楽しむ・学ぶ > はくばく博物館 > 長澤重太郎と麦

長澤重太郎と麦

はくばくの社名の由来にもなっている「白い麦」はどうやって開発されたのでしょうか?
技術的な困難を乗り越え、「白麦米」の開発に挑戦した3人のストーリーです。

はくばくの初代社長、長澤重太郎は昭和16年に「峡南精米株式会社」を創業。

ある日、長澤重太郎は「食べやすい白い麦を作ろう」と決心しました。

大麦は米に比べると食物繊維などが豊富だが、お米と一緒に食べやすくするためには麦を一粒一粒、「黒条線」にそって切断し、削除する加工が必要でした。しかし当時は、そのように麦を加工する機械はありませんでした。

機械がなければつくればいいという社長の意志を受け、精麦課長の長澤守久と鉄工所の入倉社長、遠藤は試作機の製作に入りました。

そうして3人が一丸となって、試作機第一号を完成させました。しかし、思うように麦が切断部に入らず失敗でした。

連日昼夜を問わず開発は進められました。しかし設計・製作・失敗を繰り返し、気が付くと2年の歳月が流れていました…。

昭和28年、何を試してもうまくいかなかった切断機が、長澤のひらめきでついに完成しました。その後、同機を使った画期的な麦製品「白麦米(はくばくまい)」を発売。健康的で美味しい商品「白麦米(はくばくまい)」は全国で大ヒットとなりました。